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お金の知識

【お金の歴史】日本のお金の歴史を学ぶ~大正時代から令和~

2021年10月3日

こんにちは、ちゃむです。

今回の記事は『【お金の歴史】日本のお金の歴史を学ぶ~大正時代から令和~』です。


私たちは学校で【お金】について学ぶことをしてきていません。

そのため【お金】のことであなたは苦い思いをしたり、苦労をした経験がありませんか?


私たちにとってお金は身近な存在です。

ところが、私たちはお金について知らないことが多すぎる。

私たちは人生のどこかで【お金】と向き合う時間が必要でないかと思います。


そこで、【お金】について学ぶことにしました。

世の中には【お金】に関する情報はたくさんあります。

私自身でしっかりと理解をするならば、インプットだけでは理解しきれません。

アウトプットをすることで理解が深まります。

なので、学んだことを記事に書くことにしました。

そしてこの記事は自分に向けての記事です。


まずは【お金の歴史】を学びます。

今回は「日本のお金の歴史~大正時代から令和~」です。

この記事を読めば、次のことを知ることができます。
昭和時代の通貨制度の変遷(へんせん)
現在使用されている硬貨と紙幣の変遷(へんせん)

では、話をすすめていきます。


なお、当記事の最後にそのほかの時代の【お金の歴史】の記事のリンクをまとめています。

日本のお金の歴史:大正時代

大正時代のはじめは、明治時代末からの金本位制を継続していました。

貨幣は1円金貨を原貨とし、そのほかに銀貨や銅貨を使用。

紙幣は日本銀行兌換券(にっぽんぎんこうだかんけん)が使用されていました。

日本銀行兌換券を1円金貨と交換していました。


第一次世界大戦(1914年~1918年)が勃発し、イギリスと同盟関係にあったことから日本も参戦することになりました。

戦争中にヨーロッパの国々で金の輸出を停止したことから、その影響で日本でも1917年(大正4年)に金の輸出を禁止して、金本位制を停止しました。

金本位制の停止は昭和時代のはじめまで続きました。

日本のお金の歴史:昭和時代

高橋是清(たかはしこれきよ)

昭和時代のはじめは恐慌(きょうこう)や戦争の影響で経済が非常に不安定な状態が続きました。

恐慌や戦争は世界中でも起こり、金本位制の維持が世界的にも難しくなりました。

そのため、世界で金本位制から離脱する国々が多くなり、日本でも現在の貨幣制度である、管理通貨制度へ移行していきました。


ここでは、恐慌や戦争の影響で日本の貨幣制度がどのように変遷していったのかをみていきます。

昭和金融恐慌

日本経済は第一次世界大戦後の不況と1923年(大正12年)に発生した関東大震災の処理のために不良債権を抱えていました。

1927年(昭和2年)に昭和金融恐慌が発生しました。

当時、中小の銀行は不況の影響で経営状態が悪化し、社会全般に金融不安が生じていました。


1927年3月14日の衆議院予算委員会の中で片岡直温(かたおかなおはる)蔵相が「東京渡辺銀行がとうとう破綻を致しました」と失言したことをきっかけとして金融不安が表面化し、中小銀行を中心として取り付け騒ぎが発生したのです。

取り付け騒ぎとは、特定の金融機関や金融制度に対する信用不安などから、預金者が預金・貯金・掛け金等を取り戻そうとして(=取り付け)、急激に金融機関の店頭に殺到し、混乱をきたす現象のことです。

そのため、多くの中小銀行が休業する事態となりました。

これが昭和金融恐慌です。



昭和金融恐慌の原因としては、金融システムの整備が完全ではなかったことから不良債権が適切に処理されなかったことや、経済的危機に正しく対処できなかった未熟な政策が挙げられています。


大規模な取り付け騒ぎで紙幣が不足したことから、片岡直温蔵相の後任の高橋是清(たかはしこれきよ)蔵相は片面印刷の200円券を臨時に増刷(ぞうさつ)して現金の供給に手を尽くし、銀行もこれを店頭に積み上げるなどして不安の解消に努め、金融不安は収まりました。

金輸出解禁

第一次世界大戦後にはアメリカをはじめとして世界各国が金本位制を再開して、ジェノヴァ会議では各国に金本位制への再開を求める決議がなされました。

ジェノヴァ会議は、イタリアのジェノヴァにおいて1922年(大正11年)4月10日から5月19日にかけて開催された国際会議です。

この会議では、34カ国の代表者が集まって第一次世界大戦後の貨幣経済について話し合いました。

会議の目的は、中央ヨーロッパと東ヨーロッパを再建する戦略をまとめ、また、ヨーロッパの資本主義経済と新ロシアの共産主義経済との間の調整を行うことでした。



日本でも金本位制再開のための金輸出解禁(金解禁)について検討が進みましたが、昭和金融恐慌の影響もあって決定が遅れ、業界団体、新聞の経済部、商工会議所などから金輸出解禁の要望が出されました。

そして1930年(昭和5年)1月11日、金輸出解禁が実施されました。

金本位制離脱前の為替相場は100円=49.85ドルでしたが、金輸出解禁当時の世界の為替相場は100円=43ドル〜44ドルになっていました。

日本は当時の100円=43ドル〜44ドルで再開するのか、それとも金本位制離脱前の100円=49.85ドルで再開するのかが議論されました。

議論された結果、 金本位制離脱前の100円=49.85ドル で再開することになりました。

昭和恐慌を経て、管理通貨制度へ移行

世界では1929年(昭和4年)から世界恐慌が起きていました。

そのような状況で日本は金輸出解禁をしたのです。

金輸出解禁から4カ月で、2億円にあたる金が国外に流出しました。

解禁前と解禁後の平価(へいか)の差額を利用すれば利益が出るため、解禁直後から政府の予想以上に金が流出したのです。

平価とは各国が通貨の対外価値を示すために定めた、金や一定量の金を含む外貨との交換比率のことです。


金本位制のもとでは、金の流出は国内で流通する通貨の減少につながります。

日本銀行の通貨発行高は、1930年(昭和5年)1月の14億4300万円から同年9月には11億2400万円と減少しました。

金輸出解禁に備えて物価を下落させるデフレーション政策をとっていた日本でも、国内市場の縮小や輸出産業の不振がさらに深刻となりました。

これが昭和恐慌へとつながりました。



1931年(昭和6年)12月に金の輸出を再禁止とし、日本は管理通貨制度へと移行しました。

管理通貨制度とは通貨の発行量を通貨当局(日本では現在の財務省、金融庁、日本銀行が通貨当局に当たります)が調節することで、物価の安定、経済成長、雇用の改善、国際収支の安定などを図る制度です。


これで円相場は一気に下落し、円安に助けられて日本は輸出を急増させました。

輸出の急増にともない景気も急速に回復し、1933年(昭和8年)には他の主要国に先駆けて恐慌前の経済水準に回復しました。

臨時通貨法

1938年(昭和13年)に臨時通貨法が施行されました。

貨幣法で規定された「貨幣」以外の「臨時補助貨幣」を発行する事が可能となったのです。



前年の1937年(昭和12年)に日中戦争が勃発していた日本は、補助貨幣の材料であったニッケルや銅を戦争の影響で、軍事用に使う必要があったからです。

これで貨幣用資材調達の都合に合わせて様々な素材の臨時補助貨幣が発行できることになりました。

また50銭の少額政府紙幣も発行して、貴金属である銀を使用した五十銭銀貨の回収が進められました。



第二次世界大戦後は、貨幣法の改正を行わずに臨時通貨法の改正による臨時補助貨幣の額面の追加がおこなわれました。

これで臨時補助貨幣として発行できる金額の種類が増えました。



1987年(昭和62年)6月、「通貨の単位及び貨幣の発行等に関する法律」が公布され、1988年(昭和63年)4月の施行に伴い、臨時通貨法を含む貨幣法等の通貨関係法律が廃止されました。

この法律から現在に至っています。

新円切替

第二次世界大戦で敗戦した日本は、物価が上昇するインフレーションが起こりました。

そこで政府は1946年(昭和21年)にインフレーション対策として新しい紙幣(新円)を発行することにしました。

新しい紙幣を発行することで、新しい円を適用(てきよう)したのです。


1946年(昭和21年)に発行されたのが、A百円券、A十円券、A五円券、A一円券です。

新円切替の結果、「日本銀行兌換券」と表記されている紙幣は全て無効となってしまいました。

そのため、市民が戦前に持っていた現金資産は、日本国債やそのほかの債券同様にほぼ無価値になりました。

また新円紙幣の印刷が間に合わないため、回収した旧円紙幣に証紙を貼り新円として流通させました。



硬貨や1円以下の小額紙幣は切替の対象外とされ、新円として扱われ効力を維持しました。

1947年(昭和22年)にA十銭券が発行され、1948年(昭和23年)にはA五銭券が発行されました。

その後、A十銭券とA五銭券は1953年(昭和28年)末限りで小額通貨整理法により失効することになりました。

小額通貨整理法は1円未満の通貨が取引上ほとんど利用されていないことから制定された法律です。

1953年(昭和28年)12月31日を最後に1円未満(銭や厘)の補助貨幣・小額政府紙幣・小額日本銀行券、および1円以下の臨時補助貨幣(一円黄銅貨を含む)の使用が禁止されました。

第二次世界大戦後の硬貨と紙幣の変遷

ここでは現在使用されている硬貨と紙幣が第二次世界大戦後にどのように変遷していったのかをみていきます。

硬貨の変遷

五百円

1982年(昭和57年)から1999年(平成11年)まで五百円白銅貨発行。日本で最初の五百円硬貨。

1994年(平成6年)4月1日までは五百円紙幣が並行して発行されていた。

1994年(平成6年)五百円券が日本銀行から支払停止。

1999年(平成11年)五百円白銅貨発行終了。

2000年(平成12年)五百円ニッケル黄銅貨発行開始。現在も使用可能

2021年(令和3年)11月1日 五百円バイカラー・クラッド貨発行開始。新しい五百円硬貨。

百円

1957年(昭和32年)百円銀貨発行開始。日本で最初の百円硬貨。

1966年(昭和41年)百円紙幣の廃止が閣議決定される。

1966年(昭和41年)百円銀貨発行終了。

1967年(昭和42年)百円白銅貨発行開始。現在の百円硬貨

1974年(昭和49年)8月1日までは百円紙幣が並行して発行されていた。

五十円

1955年(昭和30年)五十円ニッケル貨(無孔)発行開始。中央の穴なし、縁にギザあり。直径25mm。日本で最初の五十円硬貨。

1958年(昭和33年)五十円ニッケル貨(無孔)発行終了。

1958年(昭和33年)10月1日までは五十円紙幣が並行して発行されていた。

1959年(昭和34年)五十円ニッケル貨(有孔)発行開始。中央に穴あり、縁にギザなし。百円銀貨との混同防止のため穴あきに変更。直径は変わらず25mm。

1966年(昭和41年)五十円ニッケル貨(有孔)発行終了。

1967年(昭和42年)五十円白銅貨発行開始。中央に穴あり、縁にギザあり。大きさが縮小され直径21mm。現在の五十円硬貨

十円

1953年(昭和28年)十円青銅貨(ギザ有)発行開始。縁にギザあり。

1872年(明治5年)6月25日から1955年(昭和30年)4月1日までは十円紙幣が並行して発行されていた。

1958年(昭和33年)十円青銅貨(ギザ有)発行終了。

1959年(昭和34年)十円青銅貨(ギザ無)発行開始。縁にギザなし。現在の十円硬貨

五円

1948年(昭和23年)五円黄銅貨(無孔)発行開始。中央に穴なし。

1949年(昭和24年)五円黄銅貨(無孔)発行終了。

1949年(昭和24年)五円黄銅貨(有孔楷書体)発行開始。中央に穴あり。

1872年(明治5年)6月25日から1955年(昭和30年)4月1日までは五円紙幣が並行して発行されていた。

1958年(昭和33年)五円黄銅貨(有孔楷書体)発行終了。

1959年(昭和34年)五円黄銅貨(有孔ゴシック体)発行開始。中央に穴あり現在の五円硬貨

一円

1948年(昭和23年)一円黄銅貨発行開始。

1950年(昭和25年)一円黄銅貨製造終了。

1953年(昭和28年)一円黄銅貨の通用停止。

1955年(昭和30年)一円アルミニウム貨発行開始。現在の一円硬貨

1872年(明治5年)4月から1958年(昭和33年)10月1日までは一円紙幣が並行して発行されていた。

紙幣の変遷

一万円

1958年(昭和33年)C一万円券発行開始。図柄は聖徳太子と鳳凰。日本で初めての一万円券。

1984年(昭和59年)D一万円券発行開始。図柄は福澤諭吉と雉(きじ)。

1986年(昭和61年)C一万円券が日本銀行から支払停止。

2004年(平成16年)E一万円券発行開始。図柄は福澤諭吉と平等院鳳凰堂鳳凰像。現在の一万円札

2007年(平成19年)D一万円券が日本銀行から支払停止。

2024年(令和6年)新一万円券発行開始予定。図柄は渋沢栄一と東京駅丸の内駅舎。

五千円

1957年(昭和32年)C五千円券発行開始。図柄は聖徳太子と日本銀行本店本館。日本で初めての五千円券。

1984年(昭和59年)D五千円券発行開始。図柄は新渡戸稲造と富士山。

1986年(昭和61年)C五千円券が日本銀行から支払停止。

2004年(平成16年)E五千円券発行開始。図柄は樋口一葉と尾形光琳(おがたこうりん)筆「燕子花図(かきつばたず)」。現在の五千円札

2007年(平成19年)D五千円券が日本銀行から支払停止。

2024年(令和6年)新五千円券発行開始予定。図柄は津田梅子と藤。

二千円

2000年(平成12年)D二千円券発行開始。図柄は守礼門と源氏物語絵巻「鈴虫」、紫式部。日本で初めての二千円券。現在の二千円札

千円

1945年(昭和20年)甲千圓券発行開始。図柄は日本武尊(やまとたけるのみこと)と建部(たけべ)神社本殿。日本で初めて流通した千円券。

1946年(昭和21年)2月17日:金融緊急措置令により預金封鎖を伴う新円切替実施。

1946年(昭和21年)2月25日:暫定的に新円とみなす証紙を貼付(てんぷ)した甲千圓券発行開始。

1946年(昭和21年)3月2日:日本銀行券預入令により甲千圓券は証紙貼付券を除き失効。

1946年(昭和21年)10月31日:甲千圓券の証紙貼付券失効。

(この間は額面金額1000円の法定通貨(紙幣・硬貨)の製造発行なし)

1950年(昭和25年)B千円券発行開始。図柄は聖徳太子と法隆寺夢殿。

1963年(昭和38年)C千円券発行開始。図柄は伊藤博文と日本銀行本店本館。

1965年(昭和40年)B千円券が日本銀行から支払停止。

1984年(昭和59年)D千円券発行開始。図柄は夏目漱石と丹頂(タンチョウ)。

1986年(昭和61年)C千円券が日本銀行から支払停止。

2004年(平成16年)E千円券発行開始。図柄は野口英世と富士山、桜。現在の千円札

2007年(平成19年)D千円券が日本銀行から支払停止。

2024年(令和6年)新千円券発行開始予定。図柄は北里柴三郎と葛飾北斎筆「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら」。


紙幣は偽造防止のため、20年毎に新しい紙幣が発行されています。

まとめ

今回の記事では大正時代から令和までのお金の歴史をみてきました。

大正時代から昭和時代の第二次世界大戦終了までは、世界的な歴史の出来事に影響を受けて日本の通貨制度が変わっていったことを知ることができました。

そして第二次世界大戦後に現在の通貨制度が確立されました。

現在は貨幣の価値は安定している状態といえます。



日本のお金の歴史を学んでみて、その時代毎に歴史的な出来事があると、貨幣の価値が変わることが多いことが分かりました。

現在使用されている硬貨と紙幣に関する法律が今は大きく変わることはありませんが、第二次世界大戦終了後に法律の改正によって、それまで使用していたお金が使用できなくなるという事例があったことを私たちは覚えておく必要があります。



今使用しているお金は絶対的なものではありません。

私たちはこのことを理解しておかなければいけません。

もしあなたが持っているお金をすべて失ったとしてもあなたに残っているは何か?ということを考えてみてはいかがでしょうか?


今回の記事は以上で終わります。

ありがとうございました。

〈【お金の歴史】関連記事〉
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〈参考・引用〉
日本の貨幣史ーWikipediaー

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ちゃむ

思考、質問、ウェルスダイナミクス、本の要約について書いてます | 情報発信の根底にあるのは人の成長 | 2021年5月からブログ開始

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